うつ病19歳、看護学生がんばります。

なんでしょう。考えをまとめるための吐き出し口みたいなものでしょうか。

希望に満ちてしまっている躁鬱病患者

躁鬱病を一言で説明するなら、気分の波が一番伝わるのではないでしょうか。

感情に支配されてしまうので、気分がすぐれない時はとことん骨の髄まで落ち込んでいます。その上、感受性豊かなのか天気や家族の気分にも影響されてしまいます。(私個人のお話かもです!)

 

タイトルを見る限りでは、現在希望に満ちている私なのですが…。

何故素直に喜べないのかは、この躁鬱病特有の”波”と関係しています。

 

躁鬱病の波にはいわゆる、良い状態の躁と、沈んでいる時の鬱があります。

躁では主に活発になるので、凄く分かりやすい症状です。(症状という表現は正しいのでしょうか?)

ですが私の場合、鬱になる起点が分かりにくく事前回避が困難です。そのため、気分が良くても頑張りすぎるのは良くないのです。難しい。

基本的には次の鬱が出来るだけ短く終わるように、出来るだけ躁が長く続くように調節する期間だと思っています。

ですが、やってきてしまいます。ヤツは。

 

何故。

希望に満ちてしまっているという悲観的なタイトルなのかは、これまでの説明でお気づきの方もいると思いますが、それはじきがきてしまうからです。

少し語弊があるかもしれませんが、鬱に対する不安ではなく、まだ私が自身のキャパを把握できておらず自ら首を絞めていることへの不満と焦燥です。

どこかの何かが原因で鬱へ導いてしまっていると思うと、素直に喜べない気持ちがとても悔しいです。負のスパイラルになることだけは避けたいところですが。

 

ですが吉報も…。3年前と比べると、躁状態の期間も長くなり鬱の期間も短くなった為少しですが余裕もあります。ドンと構えていれば良いかな、と思える日もあります。

同じように悩んでいる方には、堂々と構えていれば良いと大口を叩いてしまいそうな…。ただ、自分だけではないと思っていただければ幸いです。

 

みなさんは躁状態から鬱までに何か分かりやすいきっかけがあるのでしょうか。

また、ご家族からの視点ではどのように見えているのでしょうか。コメントのほどよろしくお願いします。

それでは明日も頑張り過ぎずに、ちょっとだけ躁状態を楽しんでみようと思います。